以前愛読していた音楽関係のブログが、しばらく配信がないな~と思っていたら最近復活して、配信されていなかった間の様々なライフイベントが綴られていました。
その中で印象に残った言葉があります。それは
「ギリギリの状況での判断に、正解は存在しない」
「もし正解と呼べるものがあるなら、それは「自分がその決断に納得できるかどうか」である」
というもの。
齢60を超えると、過去を振り返ってたくさんの悔いが去来します。
あの時のあの判断は間違っていたのではないか。
あの時のあの態度、あの言い方は良くなかった。
でも、その時の自分にはそうしかできなかったのも事実。
反省は大事です。
でも、「今なら違う判断をする」、「今なら違う態度を取る」、「今ならこんな言い方をする」と思えるのは、そういう経験も含めた今までの経験の結果です。
それに、どう考えても、どの選択が最良だったかわからない事だってあります。
たとえ思い出して心の痛む過去であっても、それがあって今がある。
今の自分を形作ってくれたすべての経験に感謝して、
傷つけてしまった人へのお詫びの気持ちも感謝に昇華して、恨みも感謝に昇華する。
後で「別の選択をしていたら…」と思っても、
それはその時の自分にとっての最適解だったと信じる。
迷惑をかけた人たちにはただただ申し訳ないけれど、いつか別の形で貢献できることを信じる。
今だって未熟で不完全な自分だから、後で後悔するようなことをしてしまうかもしれないけれど、
それも通らなくてはならない道。
人生は「終わりに向かって成長、成熟していく道」だと思えば、そのように納得できる。
そんなことを思った今朝でした。