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人類皆兄弟

今日は第九初演200年記念ミニ・コンサートの2回目。2週間前と今日、それぞれ2回ずつで合計4回の公演で、今日は前回よりさらにたくさんのお客様が聴きに来て下さいました。今回はマーチの部分にトライアングルとタンバリンが入り、さらにグレードアップしました。各方面からご協力を頂き、良い演奏になったと思います。

今回演奏した第九の4楽章、通称「歓喜の歌」をめぐるエピソードはたくさんありますが、先ほど合唱団のグループLINEへの投稿で初めて知った、感慨深い話を1つシェアします。

1956年、1960年、1964年の3回のオリンピックで、当時東西に分かれていたドイツは「東西統一ドイツ選手団」として参加したそうです。そしてドイツの選手が優勝すると、国歌の代わりに「第九(歓喜の歌)」が演奏されたのだそうです。この選曲は無論、ドイツ人の誇りとする大作曲家ベートーヴェンの曲ということもあったでしょうが、テキストであるシラーの長大な歌詞の核となる「人類皆兄弟」というメッセージに負うところが大きいのではないか、と投稿者の方は書かれていました。東独の国民も西独の国民も兄弟だという意味を込め、さらにはドイツが再び一つになることを願ってこの曲が選ばれたのではないか、と。

私は1964年の東京オリンピックの年の、開会式の月に生まれたので、子供の頃は周りの大人たちから東京オリンピックの話をよく聞かされたものですが、このエピソードは知りませんでした。私が「第九」で真っ先に連想するのは、東京オリンピックから四半世紀を経た1989年、ベルリンの壁の封鎖が解かれた時、すなわち東西ドイツ再統一の歴史的なその時、ベルリンの壁の両側で、東西のドイツ人たちが涙を流しながら声を合わせて「歓喜の歌」を高らかに歌っていたシーンです。今思い出しても胸が熱くなります。

異なる国、異なる文化に生きる人々同士の相互理解がいかに困難であるかは、世界の現況が物語っています。しかし第九という作品は、それでも私たちは相互理解、共生社会という大理想に向かわなくてはいけない、と熱く私たちを促します。第九はEU(欧州連合)の歌でもあります。未来には地球市民の歌、地球の国歌となるように、とシラーとベートーヴェンが遺してくれた贈り物なのではないか、と思えてなりません。



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