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藤村と音楽

横浜に住む姪が、一緒に住んでいる大学生の弟妹たちと共に、祖父(すなわち私の父)と伯母(すなわち私)を信州旅行に招待してくれました。父は子供の頃、島崎藤村の詩「千曲川旅情の歌」に感銘を受け、「小諸なる古城のほとり」、「暮れゆけば浅間も見えず」、「うた悲し佐久の草笛」、「千曲川柳霞みて」と織り込まれた地名とその光景に長年憧れを抱いていたそうで、それを知った姪たちが一緒に長野に行こうと誘ってくれたのです。何という孝行娘たちでしょう!

初日は横浜に泊まりました。横浜の名所「赤レンガ倉庫」を見た後、中華街に行き、横浜在住の友人が勧めてくれた美味しくてリーズナブルなお店で夕食。そして翌日、いざ長野へ。甥と姪たちが交代でレンタカーを運転して、まず小諸城址に向かいました。今は懐古園という庭園になっていて、桜がちょうど見頃でした。父はその佇まいにいたく感激し、藤村記念館に入ってまた感激。涙を流さんばかりの喜びようでした。

私も子供の頃、父の影響で藤村の「初恋」や「千曲川旅情の歌」を覚え、中学生の頃には『破戒』を読んで衝撃を受けた思い出があるので、藤村記念館は大変興味深かったのですが、年譜を見て驚いたのは、藤村が東京音楽学校(今の東京芸大)の選科生として1年間ピアノを学んだという一文でした。選科生とは聴講生とか科目等履修生のようなものでしょうか。ネットで調べてみると、下宿先のお嬢さんがヴァイオリンを弾いていたので音楽に興味を抱き、選科生としてピアノとヴァイオリンとコーラスを習ったが、それほどうまくはなかったとか。音楽学校にまで入るとはかなりの入れ込みようですが、他の分野で功成り名遂げた人が、実は玄人はだしの音楽愛好家である、という例はよく聞く話ではあります。あの時代、いわゆる西洋音楽は憧憬の対象の一つだったでしょうし、藤村はキリスト教の洗礼を受けているので、礼拝で聴くオルガンや讃美歌の影響もあったのでしょう。
 藤村の生家の人間模様や、長じてからの男女関係にはかなりショッキングなものがあります。これもまた文人にはありがちな話で、若い頃の私は芸術と倫理の関係が気になって仕方がありませんでした。これにはミヒャエル・エンデが一つの示唆的な言葉を残していますが、それについてはまた改めて。

ともかく、初っ端の小諸城址が素晴らしかったのと、雨の予報がはずれて好天に恵まれたことは本当にラッキーでした。その後上田城を訪ね、上田国際音楽村のスイセンを見に行き、その日は老舗の温泉旅館に泊まりました。

翌日は安曇野へ。中学生の頃から憧れていた碌山美術館に連れて行ってもらいました。敷地内にいくつかの瀟洒な洋館があり、碌山の彫刻やスケッチ、また交友のあった高村光太郎の彫刻なども展示されていました。私は中学時代、国語の教科書に載っていた高村光太郎の詩「レモン哀歌」に胸を打たれ、彼の詩集を買って読んだものですが、甥姪たちは「名前は聞いたことある」程度で、この高名な芸術家にもあまり興味を示さず、素敵な庭園で写真を撮るのに夢中(笑)。この後は近くのワサビ田を見に行き、お昼過ぎに安曇野を発って一路羽田へと向かいました。折悪しく渋滞に巻き込まれて、予約していた飛行機の便に間に合わなくなり、最終便に変更して無事帰ってきました。

さあ、今週から新学期。心機一転頑張ります。


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