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音と言葉

昨日はS先生のコンサートを聴きに、隣県までバスツアーで行ってきました。
S先生と知り合ってまだ数ヵ月ですが、その音楽観、人生観には学ぶところが多く、うちの生徒さんたちにも大きな刺激と喜びを頂いています。
昨日のコンサートはS先生の恩師であるM先生とのジョイントでしたが、プログラム冒頭の、もう80歳に近いお年のM先生が歌われた「美しき水車小屋の娘」の素晴らしかったこと!明瞭なドイツ語、実直な歌いぶり、音楽に対する心からの敬意と愛の溢れ出る演奏に、我を忘れて聴き入ってしまいました。
続いて登場のS先生は山田耕筰、中田喜直、武満徹と日本歌曲のオンパレードでしたが、どの曲も意外なほどアップテンポで、押しつけがましさや自己陶酔など一切ない、それはシンプルな歌でした。それでいてどの曲も心に確かに届くのです。しかも、感じ方、受け止め方は完全に聴き手に委ねられています。この衒いのなさには驚きました。私もかくありたいと深く感じるところがありました。
聴きながら思ったのは、S先生には(にも)きっと言葉にできないような苦しみや悲しみ、悩みがたくさんあったのだろうということ、そして、歌はそうした苦しい経験を昇華するツールの一つだということです。苦しい経験があればこそ、苦しむ人の気持ちがわかる。全く同じ経験というものは有り得ないにしても、苦しさはわかる。詩人も作曲家も演奏者も皆同じ人間ですから。人それぞれ固有の体験が、詩として言葉に託されて昇華し、それに感応した作曲家が付曲することで作品はもう一段昇華される。その作品を、演奏家はどのように再現するのがよいのでしょうか。この演奏スタンスというものは、演奏家にとって根本的な問題です。この点で私は今のところ、人に寄り添うために歌うというS先生のスタンスに全面的に共感しています。

昨日のプログラムのご挨拶文の中に、「人の喜びを自分の喜びとし、人の悲しみを自分の悲しみとする、ただそのためだけに歌わせていただきます」という一文がありました。仏教でいう「抜苦与楽、獄苦代受」の精神ですね。この境地、人の身ながら菩薩の境地と言えるかもしれません。

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