歌には必ず歌詞が付いています(ヴォカリーズは別として)。歌詞自体が持つ抑揚やリズムが基本にあって、多少なりともそれを生かしながらメロディが付けられたものが歌。ですから、歌うたいは歌詞の音楽性にこだわりを持ちがちです(私だけ?)。
先日、M先生の合唱のレッスンの時にそんな話になりました。私は子供の頃、母の歌う讃美歌が子守歌だったので、文語調の定型文のテキストになじんで育ちました。それに生来の言葉へのこだわりが相俟って、歌の歌詞というものは七五調などの定型が基本だという感覚が根強く、イマドキの「ことばがいっぱい」の歌詞にはいつも微かな違和感を禁じ得ません。
ラップ調のリズミカルな歌は、それなりに歌詞のリズム感を生かしていると言えるのでしょうが、日本語の抑揚への配慮ははっきり言って皆無。おそらくそれは承知の上で作られているのでしょう。そして、何度も聴いたり歌ったりしているうちにそれなりに耳や口に馴染んでくるので、違和感が消え、歌詞の意味やイメージがクローズアップされてくるのかもしれません。
ただ、言葉の選び方や並べ方がしっくりこない歌、俳句で言う「離れ過ぎ」の歌はなかなか覚えられません。私にとってその代表格が「坂の上の雲」の「Stand Alone」。ロジックがない(文学ですから当然ですが)。だから「つながらない」のです。曲そのものや全体のイメージは好きなのでレパートリーにしたいのですが、何度歌っても必ず歌詞をとちってしまいます。
スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」の主題歌、「いつも何度でも」を発表会で歌いたいという方がいて、毎週のようにこの曲を一緒に歌っていますが、この曲の歌詞は、メロディに乗せると何ともギクシャクしています。言葉が多いのでブレスもままならず、まあ歌いにくいこと。でもメロディは素敵だし、詩の形象も美しいし、内容も深い。大好きな曲です。ただ、言葉の選び方や文章表現が全然自分と違うので、最初は違和感満載でした。
メロディに乗せた時のギクシャク感という意味で印象に残っているのは、朝ドラ「カーネーション」の主題歌です。最初の頃は何を言っているのか全然わからず、ネット検索した歌詞を見ながら聴いてやっと単語が拾えるようになりました。そしていつしか、レトロで切ない雰囲気をまとったこの曲が大好きになりました。
型破りという言葉がありますが、最初の違和感と、馴れた後の親近感を繰り返すうち、どのジャンルでも「守破離」によって新たな地平が拓かれてきたんだなあと実感。今やっている朝ドラ「カムカムエヴリバディ」の主題歌「アルデバラン」は最初から「いいなあ」と思いながら聴いています。わりとスローテンポなので歌詞も聴き取れます。ただ、歌詞が多過ぎるよね~やっぱり(笑)。「文学的なテキスト」を求める自分の潜在意識に向き合うのが、毎朝の小さな儀式です。